UNIX哲学について

UNIXには便利なツールがたくさんあります。

私達はそれらの「使い方」、様々なオプションや設定方法などを学びます。

これは、実用上とても大切なことです。

しかし、ツールの使い方を覚えさえすれば、私達はUNIXの達人になれるのでしょうか?

幸せな人生を送ることができるのでしょうか?

「使い方」、いわゆる手順やノウハウは、時代と共に変化していきます。

UNIXが提供するツール達も、時代と共に変化してきました。

それどころか、開発者、名前、目的すら異なる様々なUNIX OSが登場していきました。

正式にUNIXと名乗ることができるOSはライセンス上、限られていますが、正式なUNIX OSも、UNIXライクと呼ばれるOSも、一般的にはUNIX系OSとして分類されます。

いったい、何がこれらをUNIXたらしめているのでしょうか?

果たして、「UNIXらしさ」とは何なのでしょうか?

それは、もちろんPOSIX規格への準拠ではあるのですが、もっと根底にあるものは、UNIXらしい考え方

いわゆる、「UNIX哲学」です。

UNIX哲学」と呼ばれるものはいくつかありますが、ここでは1つだけご紹介しましょう。

以下は、「パイプ」の神様、ダグラス・マキルロイさんの言葉です。

これがUNIXの哲学である。
1つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け。
協調して動くプログラムを書け。
標準入出力(テキスト・ストリーム)を扱うプログラムを書け。
標準入出力は普遍的インターフェースなのだ。

これは、皆さんのよく知っている言葉に置き換えると、以下のようになります。

(標準入力を) 求めよ、さらば与えられん。
(汝の役目を) 尋ねよ、さらば見出さん。
(標準出力の) 門を叩け、さらば開かれん。

この言葉を、生涯忘れないで下さい。

そうすればきっと、あなたはUNIXの達人となり、そして幸せな人生を送ることができるでしょう。

今後のあなたのご活躍と幸せを心から願っております。

ご清聴ありがとうございました。
 
 
 
以上、ハーバード白熱教室風にお送りしました。
(まともに観たことない)

参考